2013年01月17日
気づき
某アーティストの曲を聴いていた時のこと。
ある花が一番好きだという内容の曲でしたが、
その中で
『子供のころには何も感じなかったけれど
今では不思議なくらいキレイ』
だと感じるというような歌詞がありました
とっても穏やかな曲ですが、数年前の私がもしこの曲を聴いたとしても
気に留めることはなかったことでしょう
それどころか、このような曲を聴くことが
そもそもなかったのではないかと思います
自分の中にマイナスエネルギーが溜まっていた頃は
激しい曲を好み、大音量で低音をきかせ聞いていました
オナカに響くくらい低音をきかせ、大音量で聞くことで
ストレスを発散させていたのです
今考えてみるとそれは、体内に溜まったマイナスエネルギーを
音波を使って分散させ、無意識の内に体から抜こうとしていたのだと思います
エネルギーに音波をぶつけると、エネルギーが分散されます。
大晦日に打つ除夜の鐘も、1年間のこびりついたマイナスエネルギーを
音波で分散して体内から出し、樹木等に吸収させているのですよ
数年前までは爆音を鳴らしていた私ですが、
今では穏やかな曲を聴くことが多く
昔のような音楽の聞き方はしなくなりました
そして、マイナスの浄化とプラスの注入を繰り返し行ってきたことで
今まで気づかなかったことにも少しずつ気づけるようになってきました
この歌詞のように、
『子供の頃には何も感じなかった』ことも
『大人になってからでも何も感じられなかった』ことも
見えないエネルギーの存在を信じ始めるようになってからは
少しずつ感じられるようになりました
中には目に見えないものは信じないという方もいますが、
目に見えないものを信じないということは、
電磁波やTVの電波なども否定してしまうことになるのではないかと
思います
目に見えないものを感じてみれば
それがいかに大切なものなのかが分かる気がします。
そして、この曲を通して新たな発見ができました
なにかに気づいた時、
そこからまた何か得られるものがあるのですね
『気づく』ことって大切です
ありがとうございます
ある花が一番好きだという内容の曲でしたが、
その中で
『子供のころには何も感じなかったけれど
今では不思議なくらいキレイ』
だと感じるというような歌詞がありました

とっても穏やかな曲ですが、数年前の私がもしこの曲を聴いたとしても
気に留めることはなかったことでしょう

それどころか、このような曲を聴くことが
そもそもなかったのではないかと思います

自分の中にマイナスエネルギーが溜まっていた頃は
激しい曲を好み、大音量で低音をきかせ聞いていました

オナカに響くくらい低音をきかせ、大音量で聞くことで
ストレスを発散させていたのです

今考えてみるとそれは、体内に溜まったマイナスエネルギーを
音波を使って分散させ、無意識の内に体から抜こうとしていたのだと思います

エネルギーに音波をぶつけると、エネルギーが分散されます。
大晦日に打つ除夜の鐘も、1年間のこびりついたマイナスエネルギーを
音波で分散して体内から出し、樹木等に吸収させているのですよ

数年前までは爆音を鳴らしていた私ですが、
今では穏やかな曲を聴くことが多く
昔のような音楽の聞き方はしなくなりました

そして、マイナスの浄化とプラスの注入を繰り返し行ってきたことで
今まで気づかなかったことにも少しずつ気づけるようになってきました

この歌詞のように、
『子供の頃には何も感じなかった』ことも
『大人になってからでも何も感じられなかった』ことも
見えないエネルギーの存在を信じ始めるようになってからは
少しずつ感じられるようになりました

中には目に見えないものは信じないという方もいますが、
目に見えないものを信じないということは、
電磁波やTVの電波なども否定してしまうことになるのではないかと
思います

目に見えないものを感じてみれば
それがいかに大切なものなのかが分かる気がします。
そして、この曲を通して新たな発見ができました

なにかに気づいた時、
そこからまた何か得られるものがあるのですね

『気づく』ことって大切です

ありがとうございます
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